思えば遠い昔のような令和二年

私の好きなアーティストに、amazarashiがいる。

amazarashiは秋田ひろむを中心とするバンドで、メッセージ性の強い楽曲が魅力的だ。

 

久々に彼らのYouTubeチャンネルを覗いたら、数か月前に『令和二年』という曲のMVが発表されていた。


amazarashi 『令和二年』“A.D. 2020” Music Video | Giant Buddha Projection Mapping - YouTube

 

動画が終わり、気づくと私は涙を流していた。

思えば、昨年の今頃は初めての緊急事態宣言が出て、街から人が消え、誰もがこれから世界はどうなるのかと不安になった頃だ。

それが今や遠い昔の様である。一年経った今でもワクチン接種は進んでおらず、ようやく第三波が収まったと思ったらすぐに第四波である。「緊急事態宣言」なんて、もはや名ばかりで皆慣れ切ってしまっている。

それでも政府はオリンピックをやりたがっており、一般市井には「自粛」という名の呪いをかけ続けている。なんというか、一体この一年何をしていたのかという感じである。

 

幸い、私は職業柄コロナの影響を受けておらず、一年以上リモートワークで仕事をしている。子供も生まれ、トラブルはあったものの日常生活を送れている。だが、そのような人ばかりではない。

映像に投影される名も知らぬ人たちの声にある通り、失業して明日も分からぬ状態の人や、大切な人と会えない人、卒業式や入学式が無くなってしまった人もいる。そのような人たちにとって令和二年とは、まさにやるせない、呪いのような年であることだろう。

このような人たちの声は、テレビでも紹介されている。しかしなぜだろう。テレビで映像として見る姿よりも、こうして楽曲に載せて、ただ数文字の言葉として受け取った方が、その重さや想いが伝わるような気がする。それは音楽の力か、あるいはamazarashi、ひいては秋田ひろむという人間の力なのかもしれない。

 

思えば遠い昔のような令和二年。今は無事に生活している私も、いつ何時状況が悪化するとも分からない。何気ない日常は、一瞬で壊れる。令和二年、私達はそれを学んだはずだ。

それでも「でも大丈夫」と、自分に、周囲に嘘をついて生きていくのも、人間の性なのかもしれない。