父親は母親にはなれない

イクメン」という言葉が市民権を得てからはや数年が経った。世間では、未だに少ない者の男性の育児休業取得率は上昇し、昼間一人で子供と散歩していても全くおかしくない世の中になった。いやむしろ、これまで変だと思われていたのが異常だ。 

男性の育児関与が当たり前になることは望ましいことだが、一方で、「男性も女性と同じように育児を行わなければならない」という強迫概念も生まれているのではないかと思う。実際、私はその強迫概念のせいで「もっとしっかりやらなきゃ!」「なんで自分にはできないんだ!」と自分で自分の首を絞め、自暴自棄になり、疲労困憊した時期があった。

 

そのような状況から私を救ってくれたのが、「父親は母親にはなれない」という事実だ。つまり、父親と母親は役割が違っており、出来ること/出来ないことも異なるので、それぞれの役割を担うのが良いということだ。

この考えを知ったことで、私は妻と自分を比較したり、自分の出来なさに落ち込むこともなく、「自分にできることをやれば良い」という考えに落ち着くことができた。以降、私の精神状態は非常に安定している。

 

父親が母親にはなれない理由は大きく三つある。

一つ目は、身体・生物学的な違いによるものだ。

例えば、男性は絶対に母乳を出せない。体内で出されるホルモンの種類も量も違う。妊娠をしないので、初期段階から子供との精神的つながりが薄い。その他も含め、このような絶対に越えることのできない生物的な壁が存在する。

このような違いは、後述するが子供が親に抱く印象だったり役割に違いをもたらす。そのため、そもそも論として父親が母親と同じ存在になることは絶対にできないのだ。

 

二つ目は、社会的な違いによるものだ。

良い悪いはさておき、現代日本では男性が働き、女性が育児をするというケースが多い。女性は出産後体にとんでもないダメージを負っているので、どうしても育休をある程度の期間取り、育児をするケースが多い。となると、その間の稼ぎは男性の役割になる。

稼ぐということは、当然時間を仕事に費やすということなので、育児に当てられる時間は減る。育児に関わることのできる稼働時間に、絶対的な差が生じるのだ。となると、どうやっても育児にかけられる労力・出来ることに制限がかかり、母親と同レベルの育児を行うことは時間制約上不可能ということになる。

 

三つ目は、上記二つによる子供から見た親の印象によるものだ。

これまで書いたとおり、父親は身体的・社会的理由で育児に関わる時間・労力が母親よりも少なくならざるを得ない。そうすると、子供目線では当然母親の方を近く感じ、男性の方は遠く感じる。極論、母親のみが家族で、父親は他人くらいの感覚になる。

その状態で例えば寝かしつけをしようと父親と子供が二人きりになると、我が家でもそうだが、母親を探し求めて泣いてしまう。それは抱っことか気を逸らすとかそういうレベルではなく、「欲しい人がいない」という理由で泣いているので、もはや私個人ではお手上げである。だから、同じ寝かしつけでも、妻がやるのと私がやるのとではその労力に大変な差がある訳だ。

 

以上のように、父親が母親と同じレベルで育児を行うことは相当難しい。だが、だからと言って何もしないということでは決してない。であれば、父親は父親だからこそできることを行うべきなのだ。 

我が家では、食事以外の家事は私が担当しており、その他普段のおむつ替え、食事、お風呂なども可能な限りやっている。「なんだそんなものか」と思う人もいるかもしれないが、そんなものをやるのは当たり前だと思うし、その度合いは各家庭により異なるから外野がとやかく言うことではない。

 

最終的に最も大切なのは、家族が笑顔で楽しく過ごせることだと思う。

なんでも一人で100点を取ろうとするのではなく、出来ない事は出来ないと諦め、自分に出来ることを精一杯行い、互いに支え合いながら日々を過ごすことが、子供にとって、そして自分とパートナーにとって、何よりも重要なのだと思う。