好きという感情
昨日家で遊んでいるときに、何気なく息子に「●●君は何が好きなの?」と聞いてみたら、「うーん、おとうちゃんとおかあちゃん!」と答えてくれた。
その答えを聞いて、一緒にいた妻と二人できゃはー!となっていた。
その後も引き続き聞いてみると、「●●先生(保育園の先生)、電車、ホームドア、駅」と、様々な好きなものを紹介してくれた。
好きなものの一番最初に両親が出てきてくれて大変嬉しい。
特に、私の存在が出てきてくれて、育児を頑張ってきてよかったなぁと感慨深かった。
息子は、我々が好きだ。だから、すぐに甘えてくるし、我々がいなくなると大きな声で泣く。本が好きだから、好きな絵本が読めなかったらなくし、遊びたいおもちゃがないと、泣きながらねだってくる。
泣くということは相当なエネルギーを要する行為なので、それだけの「好き」が彼の中にあるということだ。
翻って、私、いや、大人はどうだろうか。
泣くほど好きなものはあるだろうか。もちろん、なんでもかんでも感情丸出しにはできない。でも、「好き」というポジティブなエネルギーには、それだけの価値があると思うのだ。
私はボルダリングが好きだ。本を読むことや、散歩も好きだ。でも、だからと言って、それらができないから泣くことはない。
普段感情を抑えて生活している代償として、何か大切なものを失っているのかもしれない。
少しでも、私も「好き」という感情に敏感になってみても良いのかもしれない。