緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

何たる皮肉

最近、Chat GPTというAIサービスが熱い。

Chat GPTは、米国サンフランシスコのOpenAI社が生み出した最新のAIチャットボット。誰でも無料で利用でき、その精度に世界が震撼している。あのMicrosoftが投資をしており、検索エンジンBingと組み合わせることで、Googleとの全面戦争に出ようとしている。対するGoogleも、自社製AI"Bard"を検索エンジンに組み合わせることで対抗している。ここ数年AIという言葉が身近になったが、またにわかに活況になっているようだ。

 

AIが普及することは、世の中にとって望ましいことだ。これまで職人の勘に頼っていたことが可視化されたり、人間よりも精緻な分類が可能になったりする。最近では文章や絵画まで描けるようになって、まさに世の中を変えようとしている。

一方で、その力はマイナスの側面も持つ。機械に置き換えられうる単純労働だけでなく、複雑な思考が求められる弁護士や医者などの専門職も職を奪われる可能性があるという。もちろん、現時点では最終的な判断は人間が下す必要があるため、すぐになくなるということはないが、いずれは完全に自動化される可能性もある。人間とAIで職を奪い合う時代が来るかもしれない。

 

ここでよく考えてみると、これがいかにも皮肉な状況だと言える。もともと、人間は自分たちが楽をするために技術を磨いて自動化を進めてきた。経済学はそのような漸進性を前提に考えられている。昔の経済学者は「将来人間の労働時間は数時間程度に減り、娯楽を享受する時代が来る」と語っていた。

しかし、実際はどうだろう。AIが普及し、まさにそのような時代が訪れようとしているのに、喜んでいる人はそこまでいない。むしろ、「AIに仕事を奪われる!」と危機感を煽ったり、非効率な仕事を何としても残そうとする人もいる。その横で、AIは人間が教授すると思われた絵画やチェスなどのゲームの腕をどんどん上げている。

あれ、このままでは、AIが娯楽を享受し、人間が無駄な労働をし続けるだけなのでは、、、

そう思うと、昨今のAIの発展は、なんとも皮肉なものだなぁと思ってしまう。

 

まだまだAIは発展途中。これからますます精度が上がり、便利になる。

その結果、人間がAIに使われるようなディストピアが生まれないことを、願うばかりである。