緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

嫌なことは嫌と言う

子供と一緒に学童や公園なんかに行っていると、子供の嫌なことへのアピールの強さに驚くことがある。いや、憧れと言っても良いのかもしれない。

 

例えば、ある子がかごに入ったウルトラマンのおもちゃをひたすら床に並べていた。そこに他の子がやってきて、そのおもちゃをかごにしまおうとする。するとその子は、「やめて!しまわないで!」と叫び、泣きながらおもちゃを奪う。

おもちゃを床に並べることに何の意味があるのかと思うし、それをしまわれることの何が嫌なんかと思ってしまうが、きっとその子にとっては叫び泣きたくなるほど嫌なことなのだろう。

家の子も、大好きな電車のおもちゃで遊んでいるときに他の子が入ってくると、頑として一緒に遊ぼうとしない。小さな子が何も知らずに取ろうとすると、同じように「やめて!」と叫んで泣きそうになる。そんな子を見て、あぁ、この子は本当に電車がすきなんだなと思うと同時に、それだけストレートに嫌と言えることにうらやましさを覚える。

 

大人になると、嫌なことに対して嫌ということができなくなる。仮に言ったとしても、あれやこれや理由を言われ、最終的に自分が悪いかのような雰囲気になる。もちろん、その原因が自分にあるケースもある。でも、自分の嫌という感情は本物だし、自分を嫌な気持ちにさせたことに対しては、相手に絶対的な非がある。

そんなことすらできないなんて、大人になるってのはどうにも不自由なことだなと悲しくなってしまった。かといって、今さら子供たちの用に振る舞うこともできない。毎週土日になると、憧れと諦めで、何とも悲しい気持ちになるのだ。