緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

【読書記録】反応しない練習/草薙龍瞬

人生とは苦の連続である。

というのが、私が常日頃思っていることなのだが、じゃあどうすればせめて楽に生きられるかと考えると、仏教の考え方と相性が良いように思う。

特に、私は日々周囲で起こる事柄に対して過剰に反応してしまうきらいがあるので、起きたことをありのままに認識して、過剰に反応しすぎないことが重要だろう。

そんな考え方を学んだのが、この本である。

 

著者の草薙さんは、仏教の教えを日常生活にいかに当てはめるかを考え、広めている方とのことで、知識と知恵のバランスがとてもよく取れている本だと思う。

 

仏教曰く、人生とは苦しいものである。

では、その苦しみは何からくるかというと、何かを求める人間の心(渇愛)である。

特にその中でも人から認められたいという承認欲求は、人間を驕らせ、慢心させ、もっともっとと欲望を駆り立てる。

そして欲望にかられた状態で物事に反応してしまうことで、人間は満たされない苦しみを味わうことになる。

 

苦しみから解放されるには、自身の中に眠る渇愛の存在を認め、物事に対して反応してしまっている自分に気づくこと。

自身の渇愛と反応に自覚的になることで、「あぁ、また自分は反応している」と自分を客観的に眺め、無用な反応を防ぐことができる。

そうすることで、心穏やかに日々を過ごすことができるという。

 

私はもともと仏教が好きで、他の本も読んでいる。

それらを踏まえての個人的な解釈としては、「人間は自分の描いた物語の世界に生きている」ということだ。

自分以外の全ての事柄は、ただそこにあって延喜の法則に従って起こっているだけ。本来的には、そこに善悪も意味も存在しない。

でも、私たちはそこに意味を付与し、物語として解釈する。その物語が良いものであれば気分が良くなるし、悪ければ機嫌が悪くなる。

つまり、自分の機嫌を悪くしたり、悩ませているのは自分自身なのだ。

逆に言えば、自分が世界に対する意味付けや物語を変えれば、悩みや機嫌の悪さは解消される。

言ってしまえば大変シンプルなことなのだ。

 

そう考えると、アドラー心理学もスティーブン・コビー氏の『七つの習慣』も同じようなことを言っている。

二千五百年も続くだけあって、仏教は古くから物事の本質を突いていたのだろう。

 

忙しい日々の生活に、古の知恵を組み込むには、最適の本だと思っている。