緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

嫉妬心と向き合う

 

人間には、喜怒哀楽様々な感情がある。

それらは美しい感情と醜い感情に分けられる。何か目標を達成して嬉しい、誰かが無くなって悲しいといった純なものは美しい。誰かを貶めてやりたい、自分に利があるように誘導したいといった不純なものは醜い。生きていくうえでは、なるべく美しい感情を多く抱き、醜い感情は捨て去りたいものだ。

しかし、そうはいかないのが人間。特に欲深く、自分に対する評価が低い人ほど、醜い感情に流されやすい。もちろん、私もそうなのだ。

 

 

職場の同僚がすごく活躍している。以前記事に書いたKだ。

周囲から期待・信頼され、上司とも距離が近い。新しい案件を獲得したりしている。私よりも現場にいる期間が短いのに、現場の中心にいるような感覚だ。

そんな彼を見て、自分の中にモヤモヤがうごめいていることに気付いた。彼と上手く話せない。いつも見下されている感覚がある。上司やお客さんと話している姿を見ると、なぜか心がざわつく。生まれてこの方このような感情は抱いたことがなかった。だからしばらくその感情に名前を付けられなかったのだが、ようやく正体が分かった。嫉妬心だ。

 

 

嫉妬心とは何か。

『実用日本語表現辞典』では以下のように説明されている。

嫉妬(しっと)とは、自分より他人の方が優れている、あるいは自分より他人の方に愛情が向けられている、といった認識に伴って生じるネガティブな感情のことである。一般的には、羨望と憎悪が含まれる攻撃的な感情と捉えられる。

 

辞書的に書くとその通りなのだが、もっとリアリティを与えて説明すると以下のようになるかと思う。これは実際に私が感じている感情でもある。

なんか最近、自分よりあいつの方が好かれているし、活躍しているように見える。

自分よりあいつの方が仕事ができるのかもしれない。優れているのかもしれない。

あいつの方がみんなから愛されている。期待されている。

なんで?もっと私を見て!私だってできるの!ほら、これもできる、あれもできる、すごいでしょ!

なんで私を見てくれないの。なんであいつばかり見るの?

悔しい!悲しい!あいつ嫌いだ!だってあいつはXXXでXXXでXXXなんだから!

もっと私を愛してよ!!!

 

自分でいうのもなんだが、かなり気持ち悪い。。。

面と向かってこんなことを言われたら、絶対に友達になれないし、なりたくもない。それくらいのことを心の中で思っているということだ。

 

ここでのポイントは、この中に事実は一つもなく、自分の思い込み・解釈だけで感情がエスカレートしているということ。もちろん、能力差や周囲からの期待は確かに存在するのかもしれない。しかし、それが事実として顕在化はしれおらず、私が勝手にそうだと思い込み、自分より他人の方が優れている・愛されていると解釈して暴走しているだけでだ。まさしく、独り善がりの感情の最たるものだ。

 

なぜこのような感情が起こるのか。

それは、私の中に傲りと欲があるからだ。自分はできる、自分は優れているという傲り。そして、だから愛されていたいという欲。この二つがあるから、それが満たされない現状に対して不満を抱く。その不満が、嫉妬心という形で発現していると考えられる。

 

なぜ私はこれまで嫉妬心を感じてこなかったのか。

それは、今までは同じ状況に直面した際に、劣等感を抱いていたからだ。先の原因でいうと、一つ目の傲りがなく、逆に卑下をしていた。だから、同じ状況に直面した際には、「あいつは自分よりできて凄いな、それに比べて自分はダメだな、はぁ、、、」と捉えていた。この場合、他人に対する攻撃行為には及ばないが、エネルギーが出なかったり、精神的な自傷行為になってしまうので良くない。よくもまぁこの感情で10年以上生きてきたものだと思う。

 

嫉妬心だろうが劣等感だろうが、健全な精神状態でないことは確かだ。負のエネルギーが溜まりすぎれば、いずれ爆発して周囲に危害や迷惑を及ぼす可能性がある。それを回避するためにはどうすれば良いか。以下の四つが考えられる。

  1. 相手を活躍しなくさせる
  2. 周囲が相手に期待したり良く接したりしないようにする
  3. 愛されるように自分が努力する
  4. 自分の傲りと欲をなくす

ここで1か2を取ると、よく職場にいる他人の足を引っ張る人になり下がる。

3を取ると、欲が満たされる可能性はあるが、あくまで周囲からのリアクションに依存するので、満たされなかった場合、嫉妬心がさらに大きくなる。

 

なので、ここで取るべきは4だと思う。自分の中の傲りと欲を捨てて、自分と相手の違いを認める。そのうえで、「相手は凄いな、自分も頑張ろう」くらい澄んだ心で捉える。そうすれば、自分は物事を前向きに捉えられるし、周囲にも良い影響を及ぼすことができる。

 

もちろん、言うは易し行うは難しの最たるもので、じゃあどうやって傲りと欲を捨てるのかと聞かれると、私も分からない。それこそ仏教という一つの教えができて、取り組む価値があると2,500年以上も思われているくらいのものだ。

すぐには自分を変えることなどできないだろうが、自分と向き合いながら、少しずつでもなくせるように努めたい。

 

(余談)

セリフを書いている中で頭に浮かんだのはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレーだ。ちょっと何話か忘れたが、アスカが母親に振り向いてもらうためにエヴァパイロットとして必死に努力するシーンで、こういったセリフがあった気がする。新劇で幸せになってくれてよかった。。。