緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

私を公園に連れてって

毎週土日は子供を連れて公園に行く。公園までは約400メートル。10分程度の道のりだ。子供が1歳の頃、その道をベビーカーを押して歩いた。2歳になると、半分くらい歩いて半分くらい抱っこした。3歳になった最近は、ストライダーに乗る息子を小走りで追いかける。だから10分もかからず公園に着くようになった。

公園では遊具で遊ぶか学童に行く。息子は砂場がお気に入りだ。持ってきた砂場道具を広げ、自由に遊び始める。1歳の時は、ただ砂を触って遊ぶだけだった。2歳になると、道具を使って穴を掘ったりした。3歳になった最近は、ブルドーザーで遊んだりケーキを作ったりと、想像力が広がっている。私の役割も穴を掘る人からケーキを食べる人に変わっていった。

砂場の次にお気に入りなのがブランコだ。1歳の時は、椅子から落ちないように支え、ほんの少しだけゆすってあげた。2歳になると、支えはするものの多少大きめに漕げるように背中を押してあげた。3歳になった最近は、まだまだ下手なものの頑張って自分で漕ごうとしている。昨日は「おとうちゃんはとなり!」と言われ、初めてブランコを漕ぐ息子を横から眺めた。

他にも滑り台やアスレチックがある。やはり1歳の頃は登れもしなかったものが、2歳になると多少自分で登れるようになり、3歳にもなると自由自在だ。それでもまだ手助けは必要だったりする。

 

砂場で遊ぶ息子を見ながら視線を上に上げると、鮮やかな緑に輝く木々が見える。この前まで桜が満開だったのに、もう一枚も残っていない。その少し前までは木々も丸坊主で、落ち葉で遊んでいたはずだ。その少し前は、セミの抜け殻を集めたりしていた。職場と家の往復では感じられない季節の移ろいと時の速さを実感する。

時の速さと同じかそれ以上に、子供の成長は速い。たった3年で大きく変わる。何一つ自分一人でできなかった存在が、なんでも自分一人でやろうとする。その姿を見て、昔より手がかからなくなったなと思うと同時に、これから先どんどん手がかからなくなって、しまいには自分の元から旅立っていくのだと思う。頼もしくもあり寂しい。子供と過ごす時間は有限なのだと気づかされる。

 

有限の時間の中で何ができるか。どんな時間を子供と過ごせるか。将来子供が結婚したり独り立ちするときに、その量と質が明らかになる。でも、忙しい毎日の中では十分に時間を作ることも難しい。だからこそ、土日くらいは公園に一緒に行きたい。

これまで私は、自分が息子を公園に連れてっていると思っていた。しかし、それは正しくない。有限の時間の中で、息子と私が貴重な時間が作れるように、私が息子に公園に連れてってもらっているのだ。

 

きっともう少ししたら、息子は公園では遊ばなくなるだろう。遊ぶにしても私と一緒ではなくなるだろう。それは彼が成長した証だ。私の元から離れていく証だ。それは喜ばしいことだ。でも同じくらい寂しいことでもある。だから、その時までのあと少しの時間、私を公園に連れてってほしい。