夜の街を歩く
散歩が好きだ。
散歩中に独り言を言いまくると、思考がいい感じに整理される。ただ、適当なところで切り上げないと、疲労が勝って考えたことを覚えていられない。散歩の時間は、特に夜が好きだ。もちろん朝も好きだが、物思いにふけるなら夜の方が良い。
夜の散歩での楽しみは、マンションの窓から漏れる明かりを眺めることだ。別に中を覗こうとしているわけではない。何なら遠くから眺めるだけで十分だ。
窓から明かりが漏れるということは、当然中に住人がいる。誰かの人生がある。命がある。窓から漏れる明かりとは、誰かの人生がそこにあるという証なのだ。
カーテンで遮られた空間の中に、いったい何人の人がいるのだろうか。一体何をしているのだろうか。どんな過去があるだろうか。どんな想いで日々を過ごしているのだろうか。
私は私の人生だけで精いっぱいだ。でも、窓から漏れる光の数だけ、私の知らない人生がある。光の数だけ想いがある。世界は無数の人生でできていることを再認識させられる。そんなことを思うと、自分の小ささというか、世界の大きさというか、不気味さというかに、身震いすらしてしまう。
「あぁ、自分はこの世界に一人ではないのだな」と思うと同時に、「この世界で自分は独りぼっちなのかもしれない」とも思う。アンビバレントな感情は、夜の散歩に欠かせない。
今日も、夜道を散歩する。
マンションの窓から部屋の明かりが漏れる。中の住人は、どんな想いで今日という一日を終えるのだろうか。そしてその光の一つである私は、どんな想いで今日を終えようか。