勉強の意義がようやくわかった気がする

ここ最近、政治関連の勉強をしているのだが、その中でようやく勉強の意義の一つが分かってきた気がする。それは、「異なる意見を客観的に見るスキルを養うこと」だ。

特に今は憲法について勉強していて、憲法改正の是非などに関する本を読んでいる。そうすると、憲法改正に賛成する意見と、他方では反対している意見があることに気づく。その言い分を見てみると、賛成派は昨今のアジア情勢を鑑みて、(あくまで9条は尊重した上で)自己防衛力を強化するために憲法改正を訴えている。他方反対派は、憲法解釈に基づくと自衛権は確保されており、ただ明記するだけでは解決にならないと主張する。表面的に見れば賛成 vs 反対という構図だが、その主張の裏には「現行憲法実際に国を守れるのか」と、「現行憲法解釈として国を守れるのか」という、全く異なる立場に立った対立が存在しているのだ。

ここに気づくと、双方の意見はどちらも正しい、少なくとも納得できることが分かり、問題はそこまで単純でないことが分かる。確かに現実問題、中国や北朝鮮の脅威は高まっているので、専守防衛に限らない防衛力も必要だと思う。しかし、ではそのためにはどこまでの改正をどのように行うべきなのかというのは難しい問題だ。「憲法改正」と聞くと、すぐに9条を撤廃するかしないかという問題になるが、実際には75年間の歴史がある訳で、それをしっかりと理解しないで結論を出す訳にはいかない。よく駅前で憲法9条改正反対運動をしている人たちがいるが、彼らはどのような立場・解釈に立ってあのような運動をしているのか、がぜん興味が湧いてきた気がする。

話が脱線したが、上記のような立場の違いは、憲法について勉強して始めて気づいた違いだ。そして、世の中には同じような問題が多く存在すると思う。そう思うと、勉強することにより、異なる意見を客観的に比較、相違点・共通点を見つけるスキルが養われるのではないかと思う。これまで自分が行ってきた勉強は〇×をつけるものであったが、現実はそのように簡単ではないということを、初めて学んだ気がする。

もっと早く気づけば良かったと思ってやまないが、何事も始めるのに遅すぎることはない。今日気付いたなら、今日から実践すれば良いのだ。そんなことを思いながら、興味も勉強に励んでいる。

【学習メモ】日本国憲法

憲法とは

 為政者(行政)の行動を制限し、国民の身・権利を守るための規定。その国がどのような考えを持っているかを表すもの。

 

立憲主義

 憲法が国の最高法規であり、為政者を含む全ての国民が憲法およびそれにより規定される法律に従うこと。

 

憲法と法律の関係

 憲法 = 国民が制定 / 為政者の行動を制限

 法律 = 為政者が制定 / 国民の行動を制限

 

日本国憲法成立背景

  1. 第二次世界大戦敗戦により、GHQが日本の非武装化を狙い、大日本帝国憲法改正を要求
  2. 松本烝治を中心に草案作成
  3. 草案内容がリーク。相変わらず天皇に権力を集中させる内容だったため、GHQが激怒。草案が提出される前に自ら草案を作成。
  4. 国内有識者、他草案を参考に、9日間で作成。提出。
  5. 国会で議論、修正(芦田修正)の上、成立。1945年11月3日公布、1946年5月3日施行。

 

憲法9条

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 1項により、日本は武力を保有できない。論理的には自衛権すら行使不可。つまり自衛隊憲法違反。しかし、2項の「前項の目的を達するため、」という記載により、「あくまで自分から戦争を吹っ掛けることはない」という解釈を行い、自衛隊の存在を正当化している。

 

所感

 憲法押しつけ論はいつの時代も存在する。「押し付けられた憲法だから改正しよう」という表面的な議論ではなく、中身を重視して、押し付けられたものであろうと中身に問題がないのであれば改正する必要はない。

 

 賛否両方の意見が(強く)存在する領域なので、短絡的に「〇〇であるべき!」と意見を述べるのは良くない。双方の意見を理解した上で、自分はどう思うかを決める必要がある。

 

 近視眼的な見方や表面的な見方で語るのではなく、「日本をどのような国にしたいのか」を中心に据えた上で、現在日本が置かれている状況を鑑みて修正内容を検討すべき。

オススメASMRer

ASMRという音声カテゴリーをご存じだろうか。

ASMRとは、”Autonomous Sensory Meridian Response”の略称で、Wikipedia曰く、

人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、心地良い、脳がゾワゾワするといった反応・感覚。正式、および一般的な日本語訳は今のところ存在しないが、直訳すると自律感覚絶頂反応(じりつかんかくぜっちょうはんのう)となる。

とのこと。良く知られているのは囁き声や咀嚼音等で、高性能マイクの近くで音を発生させることで、耳に大きな刺激を与える音声コンテンツのことだ。

 

いわゆる音フェチジャンルに該当するが、私はその中でも「耳かき音」が大好きだ。仕事中などはしょっちゅう聞いているし、昼寝など短時間の睡眠にも利用している。

YouTubeには数々のASMRerが活動しているが、中でも私が好きなのが「高倉むき」さんだ。

割とエロ系とかシチュエーション系によりがちな耳かきASMRの中でも、彼女の動画は正統派耳かきASMRで、自身の声の良さと音圧が強さが相まって大変リラックスできる。特にオススメなのが以下の三本。毎日どれか一本は聞きながら仕事をしている気がする。




ASMRはリラックス効果や集中力向上に役立つそうだが、二点気をつけなければならないポイントがある。

一つ目が、イヤホンの長時間着用による影響だ。私はカナル型イヤホンを使用しているため、耳がほぼ完全に密閉されてしまう。その状態で長時間過ごすと、耳の中の湿度が上がり、雑菌が繁殖、最悪カビが生えてしまうらしい。なので、最低でも1時間に一回はイヤホンを外し、換気する必要がある。

二つ目が、依存症だ。特に睡眠時等に聞くと、気持ち良いサウンドと共に眠りに落ちることができるのだが、あまりにも聞きすぎると「ASMRなしでは寝られない」という依存症状態に陥ってしまう。これは私もなりかけたことがあり、起きている状態でもASMRの音が聞こえるような感覚になる。そして、寝るときには無音では何か寂しく感じてしまうのだ。その時は、危機感を感じ、「ASMR断ち」をすることで解消することができた。

コロナ禍で在宅勤務が増えたことにより、職場の雑音の大切さを実感した人も多いと思う。そのような人にとって、ASMRは仕事の効率化に貢献してくれるコンテンツだし、ストレスによる睡眠障害への対応としても効果的かもしれない。しかし、何事も適量が大切ということで、是非上記二点について十分注意してASMRを楽しんでほしい。

身体を鍛えるということ

先日書いた大学の友人とのやり取りの中で、身体についての話題になった。お互い30歳手前になり、そろそろ意識的に運動しないといけないねということだったのだが、私の場合は心配ご無用。今が人生最高の身体であると確信している。

そんなことを彼に言うと、「いったい何になりたいのだ」と若干呆れ気味の返事が返ってきた。思えば、妻にも同じようなことを言われたことがある。さて、私は身体を鍛えて何になりたいのだろうか。

 

直接的な理由としては、ボルダリングを上達したいからという理由がある。ボルダリングは重力に逆らうスポーツで全身運動であるため、リーンであることに越したことはない。そのためには、常日頃から食生活に気を付け、身体を鍛えておく必要がある。

一方で、仮にボルダリングがなかったとしても、きっと私は身体を鍛え続けていると思う。別にボディービルの大会に出たいからとかではなく、趣味として身体づくりを継続するだろう。

それはきっと、過去大変太っていた時分に感じた劣等感や虚しさを味わいたくないからだと思う。当時は太っているというだけでバカにされたし、運動が出来ない事への無力さも感じた。その結果自己肯定感が下がってしまったというのはあると思うし、逆に痩せてから人生が好転したという実感もある。だから、過去の苦い経験を元に、二度とそのような状況に陥りたくないという想いから、身体を鍛え続けているのだと思う。

 

身体を鍛えて、日に日に良くなっていく自分の姿を眺めると、しっかりと努力が実を結んでいるという実感と共に、「やればできる」という自信を持つことができる。また、卑近な話だが、仮に嫌な奴と出会ったとしても、「最悪こいつ殺せるしな、、、」という謎の有能感も得ることができる。自分の精神を高揚させ、自信を得るためにも、身体を鍛えることは欠かせないことなのだ。

確かに30代が近づいてきて、身体が落ちていく年齢ではあるものの、先日ボディービル大会で優勝したなかやまきんに君のように、しっかりと鍛えていれば年齢など関係ない。よく言われる「年齢なんて記号だよ」とは言いたくないが、年齢に伴う肉体の衰えを気にするくらいなら、さっさとスクワットでも腕立てでもやれば良いと思う。

筋肉は、やった分だけ応えてくれる。そう、筋肉は裏切らないのだ。

張り合うのではなく尊敬する

ここ最近政治などに興味をもって色々調べているが、正直どこから手を付けていいのかさっぱり分からない。いかんせん範囲が膨大に広いものだし、色々な事柄が複雑に絡みあっている分野なので、なかなか一筋縄ではいかない。

そこで、友人の一人に上記の旨を相談してみた。彼は大学時代政治系サークルの幹事長も務めた人物で、今は証券会社で働いている。様々な分野への造詣が深く、現在でも金融・証券領域の難しい本を読んでいる勉強家だ。

そんな彼にかくかくしかじか相談してみたところ、とりあえず現代社会の大学入試参考書を読んでみると良いと助言をもらった。曰く、最も網羅的に書いてあるとのこと。

言われてみれば確かにその通り。大学入試では広い範囲の知識が問われるので、最適かもしれない。ということで、さっそくメルカリでおすすめされた本を買ってみた。まだ届いていないので、届き次第勉強しようと思う。

 

様々な物事に触れるにつけ、自分の無知さ、馬鹿さ加減に嫌気がさす。なぜ大学時代もっとまじめに勉強していなかったのかと、過去の自分の行いに後悔だけが積み重なる。しかし、当時はそのようなこと思っていなかったのだから仕方がない。何事も始めるのに遅すぎることはないとよく言われているので、今からでもしっかり勉強していこうと思う。

同時に、自分とは反対にしっかりと勉強し、今でもその習慣を続けている彼には脱帽する。一瞬、自分の汚く弱い心の中に、自分の無知さと彼の博識具合を張り合う気持ちが生じたが、張り合っても仕方がない。張り合えないのは自分のせいだ。であれば、素直に尊敬の気持ちで彼を見るべきだ。そうすれば、変に自分を卑下することもなく、彼の素晴らしさを正面から受け止めることができる。

 

特に政治的な情報を探していると、やれ〇〇を知らない奴らは馬鹿だとか、勉強不足だとか、とかく相手を貶める発言が多い。自分もそういうことを言ってしまう時があるので戒めになるのだが、そうやって人を貶めるのは何も生まない。むしろ、自分に自信がないことを露呈させているだけではなかろうか。

自分の意見を持ち、相手の意見を聞く。相違点があるなら、意見を交換し、学びあう。大切なのは、互いを尊敬する気持ちだ。

 

学習の方法を教えてくれた友人に感謝しつつ、しっかりと自分も知識をつけ、ここではそのようなマウントを取らずに、学んだことをアウトプットしていきたい。

今日は憲法記念日

本日5/3は、憲法記念日だ。今から74年前の1947年5月3日に、現在の日本国憲法が施行された。制定から74年も時がたち、コロナ禍により緊急事態状況がないことへの指摘もあり、改憲への勢いがついてきているように思う。

私個人は、憲法改正賛成派だ。というのも、やっぱり時代に合わせてその形は変えていく必要があると思うからだ。

ルールというものは時代に合わせて変わっていくべきであり、そうしなければどんどん時代錯誤なものになってしまう。国内では改憲というだけで目くじらを立てる人がいるが、例えば戦後だけで見ても、台湾はこれまで7回、米国も6回改憲している。定期的にルールを見直し、より良い者にしていくのは当然の活動だと思う。

その中で、憲法9条の話が当然出てくると思う。武力を放棄するこの条項は、自衛隊の立ち位置を曖昧・危うくしている。個人的には、隣国のおかげでもはや武力放棄で平和を守れる状況にもないので、自衛隊専守防衛を中心としてうえで、武力・戦力は増強すべきと思う。米国も、もうアジアの問題には手を出せませんと言っているようなものなので、インド太平洋周辺国が対等な関係で連携するためには、日本も考え方を変える必要があると思う。

 

改憲をする際には、国民投票になると思うが、正直現時点で国民投票をしてもろくな結果にならないと思う。それは、私を含めてバックとなる知識や理解が不足しているからだ。多くの人は憲法記念日をGWの一つとしか捉えていないし、その制定の歴史も良く知らない(私もそうだった)。そのような状態で、憲法改正の是非を問うても、「何となくこっち」程度の意見で是非が決定してしまう危険性がある。

憲法は国の根幹を成すものなので、国民側もしっかりと理解し、自分なりの考えを持った上で、改憲に向かうべきと思う。

 

余談だが、政治について色々調べたりしていると、本当に極論というか強い言葉の意見が多い。立場や見方が違えば意見が異なるのは当然なのだが、すぐ右翼だ左翼だ死ねだクソだ言いたがるように思う。もっと滑らかに、中道的に両方の意見を聞いて、落ち着いて自分の意見を交換できる世の中であってほしい。でなければ、政治について発言することも怖くなるし、考えるだけで疲れてしまう。。。