緩くいこうぜ、人生長いんだ。

一度切りの人生楽しむべきだよね、絶対。

【About】自己紹介&当ブログについて

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当ブログにわざわざ足を運んでくださり、誠にありがとうございます。Yoshiと申します。

当記事では、私の簡単な自己紹介と、当ブログについて簡単に説明させていただきます。

 

自己紹介

基本情報

  • 名前:Yoshi
  • 年齢:20代後半(既婚)
  • 職業(本業):金融系システムエンジニア
  • 職業(副業):週末翻訳家(英日/IT、金融、フィットネス)
  • 生きがい:水樹奈々(ファン歴10年)
  • 趣味:読書、ボルダリング、Toastmasters 

 

経歴

誕生〜小学校
  • 1990年代前半誕生。ごく普通の家庭ですくすくと育つ。
  • 小学校二年生の時、父親の仕事の関係でスロベニアに転勤。生き延びるために英語を習得。
  • 小学校六年生の時、なんだかんだ素晴らしい思い出と共に帰国。
中学校〜高校
  • 食べ過ぎ&運動しなさすぎで、中学二年生にしてMAX体重100kg。
  • 中学二年生の時に筋トレに出会い、開眼。夏休みの二ヶ月弱で20kgのダイエットに成功。以降、筋トレにハマる。
  • 高校でフィールドホッケー部に入部。毎日練習に明け暮れる青春時代を送る。
大学〜就活
  • 特に明確な目的も無く大学に入学。なんと無く大学生活を送る。
  • ベンチャー企業を志望して就職活動をする。内定をもらって承諾する。
  • ベンチャーへの就職を親に猛反対され、内定を辞退して就職活動再開。運よく夏採用で現職に拾ってもらい、金融系SE(システムエンジニア)になる。
就職〜現在
  • 社会人2年目の終わりに、適応障害により会社に行けなくなる。3ヶ月間休職。
  • どうにか過去を清算し、職場復帰。現在もSEを続ける。
  • 将来を考え、副業として翻訳者を考えるようになる。
  • ISSインスティテュートの翻訳コースに通い、翻訳の基礎・応用を学習。
  • 翻訳者として少しずつ仕事を始める。←イマココ

 

当ブログについて

当ブログでは、主に以下のことについて書いております。

  1. 翻訳・英語の持論や勉強法
  2. 水樹奈々への熱い想いやイベントの感想
  3. 読んだ本の感想
  4. その他日々の中で色々思ったこと

何かに特化したり、一貫してテーマを持って記事を書いた方が良いとは思うのですが、残念ながら一つに集中して書くのが苦手なもので。色々と乱雑なブログになってしまっておりますが、ご了承いただければと思います。

 

上記の中から一つでも引っかかるものがあれば、 読者登録などしていただけますと幸いです。誰かが読んでくださっていることが一番の励みになります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

【雑記】自己肯定感について

本日 Twitterで、「自己肯定感」という言葉がトレンド入りしていた。

この言葉、私にとってはとても大きな意味を持つ言葉だ。

なぜなら、私は極端に自己肯定感が低いからだ。

 

自己肯定とは、勘違いされがちだが自己愛ではない。いや、自己愛と言っても良いのかも知れないけれども、いわゆるナルシシズムとは違う。どちらかというと、「自分の存在を認め、赦すこと」だ。

特別なスキルや肩書きがなくとも、今いる自分のありのままの姿を受け入れ、認め、赦すこと。どんなに情けなくとも、恥ずかしくても、今生きている自分を受け入れ、赦し、自分とともに生きること。それが自己肯定だ。そこを勘違いしてはいけない。

 

自己肯定感は、生きる原動力となる。

「好きなことで生きていく」というキャッチフレーズが広まって久しいが、これを実現するには自己肯定感が欠かせない。なぜなら、自分が好きなことを、他人から何を言われても動じず、自分を信じて突き進むためには、相当なエネルギーが必要だからだ。そして、その原動力こそ、自分を信じ認める力、自己肯定感なのだ。

 

自己肯定感は、幼少期の家庭環境の影響を大きく受ける。

幼少期に自分の存在を認めてもらえなかった場合、自己肯定感が低くなる傾向がある。私の場合、両親ともに学校の成績にうるさく、テストで良い点を取らなければ褒めてもらえないような環境だったので、「頭が良くないと褒めてもらえない、存在を認めてもらえない」というバイアスが刻まれている。これは一種の呪いのようなもので、幼少期に受けた呪いは、放っておけば死ぬまで苦しめられ続ける。

 

呪いを解くためには、自らが受けてきた呪い以上の自己肯定をし、思考を上書きするしかない。でも、幼少期という多感な時期にその身に刻まれた呪いを上書きするのは、並大抵のことではない。普段の生活から努力をしなければ呪いを解くことは難しい。さらに、人間には現状維持バイアスというものも存在する。そもそも「自己肯定の低い状態」から「自己肯定の高い状態」に移行することを嫌がる傾向があるのだ。

だから、以下に自己肯定感が低いことによるデメリットを頭で理解していても、「さぁ、自己肯定感を高めましょう!」と言われてもそう簡単にできるものではないのだ。一度でも、自己肯定感が高いことによるメリットをその身で経験しなければ、なかなか実践に移すのは難しい。

 

でも、やっぱり人生の主人公は自分であり、他の誰にも明け渡してはならないものだから、自己肯定感を高めることは絶対に必要だ。特に現代のように、「自分」というものが強く意識される時代においては、自己肯定感の重要性は高まっている。だから私としても、どうにか自己肯定感を高める努力をしていこうと思うのだ。

皆様も、どうか自分を否定せず、大切にして日々を過ごしてください。

【雑記】男性こそ女性について知る努力をするべきかもしれない

最近、女性って面白いなと思うのです。

面白い言ってもFunnyではなくInterestingです。つまり、興味があるということです。

男性が男性のことをよく知ったところでたかが知れています。

いうても自分も男なので、どんな悩みがあるかとか、どんな思考回路をしているかとか、おおよそ分かったりするものです。

でも、女性のことは分からない。正直未知。

「オンナ心と秋の空」と言われるくらい、男性からしてみれば女性の心というのは変わりやすいし、よく分からないものなのです。

 

最近は#MeTooとか#KuTooとか痴漢対策の安全ピンとか、女性だからこその憤りとかトラブルとかが表に出ていることが多い。

でも、正直男性からみれば、「何じゃそりゃ」という感じなのです。申し訳ないけど。

だって、男性はそれを経験しないから。

経験しないものは、知ることができない。自分の問題として捉えることができない。当然といえば当然。

だからと言ってじゃあそれを放置しておいて良いかというとそれは違う。社会的な問題ならば、きちんとそれを解決する必要がある。

では、そのために何をするべきかというと、まずは男性が女性について知ることが大事だと思うのです。

それは恋愛とかモテとかいうレベルではなく、女性が現代社会でどんなトラブルを感じ、どんな憤りを感じているのかを、知識レベルでも知る。

それはあくまで知識だから、実際に女性が感じたような感覚とは異なるものかも知れないけれども、知らないよりはずっとマシだし、そこから問題解決の糸口が見えてくるはず。

だから、まずは男性が女性について知ることから始めることが大切なのだと思います。

 

じゃあどうやって知るのかというと、まずは女性のエッセイなんかを読むのが良いのかなと思います。書籍として世に出回っているということは、きちんと情報が精査されている(はず)だし、言葉遣いなんかも補正されているはず。男性が入るにはちょうど良い入口になるかなと思います。

最近犬山紙子さんのエッセイが気になっているので読み始めているのですが、徐々にでも女性について少しでも理解できるようになれば良いです。

その結果、自分を含めて周りの人達が、多少でも生きやすくなれば、大変嬉しいと思うのです。

 

【雑記】私に書けるもの

誰かが言った。

「ブログとは他人の役にたつ情報を載せねばならない」

 

誰かが言った。

「ただの日記なんぞ公開する必要もない」

 

誰かが言った。

「役に立たない記事なんてない方が良い」

 

 

姿も見えない誰かの言葉は、確かに一定の心理をついているのかもしれないが、必ずしも真実であるとは限らない。

うるさい。黙れ。

私は私が読みたいと思ったことを書く。

私に書けるのは、絶対にその領域を出ることはできないから。

【音楽】めっちゃ良いアーティスト見つけた V ―大森靖子―

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定期的にイカしたアーティストを発掘してご紹介しているこのコーナー。

今回ご紹介するのは、大森靖子

以下の『死神』のMVを初めて観た時、久々に心が震えました。こんな素晴らしい曲を歌うアーティストがいるのかと。

  

大森靖子さんは2006年から活動されているアーティストで、2014年までは芸能事務所に所属せずに活動されていたそうです。

上記の『死神』からも分かる通り、歌詞は結構暗かったり、挑戦的だったりします。それゆえに、世間的では「メンヘラ」とか言われているそうですが、私はそうは思いません。まずもってメンヘラって何よって話なのですが、女性が「死ぬ」とか「人生」などについて歌ったり、シャウトしたりしただけで、メンヘラと呼んでしまうのはどうかと思います。きっと大森さんは自身が感じたことを精一杯感情を込めて歌っているだけなのでしょう。だから心に響くようなメッセージが伝わるのだと思います。

 

他にも、可愛い曲やカッコいい曲も歌っているので、色々な面から楽しむことができるアーティストです!

 

 
過去に紹介したアーティストはこちら

【雑記】私は辛い、ただそれだけだ

辛い。

肉体的にではなく、精神的に。

初めてやることばかりで気疲れしまくるけど、ようやく上手く回せるようになった仕事。自分のやりたいこととのバランス。自分自身の休ませ方。色々なことがようやく少し落ち着いて、自分の精神的キャパが良くも悪くも一杯になった。

そんなところに飛び込んできた別の仕事。政治色が強くて、誰が幸せになるのかも分からない仕事。いつの間にか巻き込まれて、その癖期待しているとか言われる仕事。ようやく上手く行き始めたバランスをぶち壊す仕事。

 

辛い。

でも、世間的に見れば辛くなんてないのかもしれない。仕事はそんなもんだとか、皆もっとしんどい思いをしているとか、他人と比べれば私なんて恵まれている方なのかもしれない。ただ辛いと思うだけなのに、そうした人達の言葉と顔が頭に浮かび、イライラする。ぶん殴りたくなる。

 

知るか。私は辛い、ただそれだけだ。

他人がどう思おうが、自分が辛いのは間違いなく辛いんだ。皆我慢してるからって私も我慢しなければならない道理は何もない。皆がもっと辛いからといって、私が感じるこの辛さが嘘になることなんかない。

それを受け止めてくれる人は少ない。皆頭で考えた借り物の言葉で否定し、押さえつけ、無いものにしようとする。

誰も理解なんてしてくれない。理解することはできない。だからせめて、私自身は、この辛さを否定せず、確かに受け止めてあげたいと思う。

 

自分自身は、自分自身の唯一の味方でありたい。

【雑記】しんどい時は吐き出そう

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※画像は本文と全く関係ありません。

色々としんどい日々が続いています。

心の中にモヤモヤというか、煮えきらない何かが溜まって、外に吐き出したいけれども吐き出し方が分からない、そんな感じです。

一番良い対処方は吐き出すこと。つまり、言葉にして外に出すこと。そうすることで、溜め込んでいたモヤモヤが多少は明確になって、気持ち的に楽になります。

この時大事なのは、「ただひたすらに吐き出すこと」とうこちらから一方的に話し続けるのです。思うがままを、感じたままを吐き出し続ける。それが一番。でも、実はとても難しい。

というのも、誰かに話そうものなら、相手がアドバイスしてきたり、話の腰を折ってきたりするから。こちらはただ吐き出したいだけなので、相手からのレスポンスなんていらないんです。でも、相手はそんなこと知りませんから、「そんなこと言うなよ」とか、「もっとポジティブに考えようぜ」とか残酷にも言ってきます。

うるせぇ、こちとらただ吐き出したいだけなんじゃ!と思っても、いかんせん相手のいることですので、そう上手くはいきません。だから、「ただ黙って話を聞いてくれる人」というのは大変希少であり貴重な訳です。

私の場合、行きつけのカウンセリングルームがありますので、そこで定期的に発散しています。カウンセリングはお金を払う代わりに本当に黙って話を聞いてくれるので良いです。便利です。近々行ってこようと思っています。

皆様も、何か溜め込んだもので息苦しいなら、吐き出してみてください。友達や家族なんかが手軽ですが、難しければカウンセリングでも。カウンセリングに行くのは勇気がいると言いますが、そんなもん、溜め込んで潰れることに比べれば、屁でもないですよ。

【感想】一発屋芸人の不本意な日常 / 山田ルイ53世

一発屋芸人。

それは、わずかな期間爆発的に売れた芸人を指す。

彼らのネタはキャッチーで覚えやすい。多くの人が彼らのネタで笑い、楽しみ、モノマネする。そして、楽しむだけ楽しむと、唐突に飽きる。捨てる。馬鹿にする。まるで、味のしなくなったガムのように。

捨てた方は良い。また新しいガムを買えば良いのだから。では、捨てられた方はどうか。路傍に捨てられた彼らは、どうなるのだろうか。これは、そんな一発屋芸人の「その後」を描くエッセイである。 

一発屋芸人の不本意な日常

一発屋芸人の不本意な日常

 

 

「○○やないか〜い!」の貴族漫才で一世を風靡した髭男爵山田ルイ53世さんによるエッセイ。内容は、タイトルの通り一発屋芸人のその後。つまり、消えた後の話である。

一発屋芸人というと、キャッチーなネタで一世を風靡し、台風顔負けの最大瞬間風速を記録した後に、気象庁もドン引くくらいの勢いで消滅する芸人のことを指す。世間一般での認識といえば、「あ〜昔いたね」とか、久々にテレビで見て「あ、生きてたんだ」くらいにしか思わないくらい影の薄い存在。代表例で言えば、波田陽区、小島よしお、スギちゃん、小梅太夫、そして、髭男爵あたりである。

本書は、自他共に認める一発屋芸人である著者が、一発屋芸人の「消えた」後の日常を描いている。なので、芸能界の華々しい話や、思わず憧れてしまうような美談は存在しない。一発屋芸人に向けられる侮蔑、嘲笑、無礼に対する恨み、嫉み、愚痴。そんなもののオンパレードである。全ての一発屋芸人の怨念がこもっていると言っても過言ではないかもしれない。

確かに内容は暗い、というか救いがないのだが、不思議と呼んでいる方は暗くはならない。それはひとえに著者の軽快な文章の賜物か、帯に書いてある通り「人生、諦めが肝心である」という哲学に支えられてのものなのかは定かではない。

でも間違いなく、本書を読めば著者、そして一発屋芸人に対する見方が変わる。彼らはバカにできるような対象ではない。飽きられようとも、消費し尽くされようとも、それでも生きているのだ。一人の人間として、彼れらをバカにすることは、決してできないし、してはならない。

 

著者は、名門中学校に入るも引きこもりになり6年間を過ごした。そして何もない状態で芸人になり、髭男爵としてブレイク。そして、一発屋として消えた。それでも著者は結婚をし、子宝にも恵まれ生きている。確かに芸人として大成はしなかったが、生きている。仕事もしている。それだけで十分なのかもしれない。そんな著者の思考が端的に表れている文章を引用する。

僕は一発屋である。

売れっ子ではない。

芸能界において主人公ではないし、トップランナーでもない。

エキストラ中のエキストラである。

(中略)

それでも、とりあえず生きる。

とりあえずは大事だ。

棺桶に入るまでは、とりあえず、それでいい。

「何もなくても、生きているだけであなたは輝いている」などと嘘を吐くことはできないが、輝かなくとも生きていける。生きていい。

それだけは確かである。

 

 

何かを成し遂げなくとも、理想の自分になれなくとも、生きているだけで十分なのかもしれない。後ろ向きでも下を向いていても、とりあえず前には進もうと思わせてくれる。

自らの失敗を笑いに変える。自らの不幸を笑いに変える。それが消えた後の一発屋芸人の生き方なら、やっぱり著者は、立派な一発屋芸人だ。