コロナ禍の終わりとこれからの世界
昨日5月8日から、新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけが2類から5類に引き下げられた。
これによりマスクの着用は任意になるし、感染した際の隔離機関等もなくなる。ようやく完全にコロナ禍が終わったということになる。
思えば3年前のちょうど今頃、世間はコロナウイルスで大騒ぎしていた。
初の緊急事態宣言が発出され、街から人が消えた。突然の臨時休校、リモートワークへの移行、各世帯一人10万円の給付金。毎日報道されるニュースに怯え、どこにも外出できないストレスと戦う日々。
アーティストは何とか人々を励まそうと、オンラインライブやコンテンツを多く配信した。結果、YouTubeやNETFLIXなどの動画サービスが大躍進した。
私自身、子供が生まれたばかりだったので非常に心配な日々を過ごしていた。
この先世界はどうなるのだろうか。この子が生きる世界はちゃんと良い世界なのだろうか。そんなことばかりを心配していたことを思い出す。
あれから、世界は良くなっただろうか。
確かに感染症の災禍を抜けることはできた。しかし、利己的な支配者のせいで戦争が勃発し、それに起因して世界の分断が起こっている。それに便乗して、巨大化した独裁国家が、ありもしない歴史主張を基に世界の覇権を握ろうと躍起になっている。
国内では、元首相がテロにより殺害された。核兵器を持つ国が周りに構えているのに、まだ「平和憲法」とかで平和を守れると思っている人がいる。経済は良くならないのに増税の話ばかりが先走る。
この先の世界はどうなるのだろうか。本当によくなるのだろうか。
そんなことをふと思う。
でも同時にこうも思う。
「良くなるのだろうか」ではなく、「良くする」のだ。
どんなに小さな影響でも、世の中や周囲に良い影響を及ぼせたら、きっとそれで十分だ。
その小さなインパクトが広がれば、きっと世界はもっと良くなる。
だから、毎日何か一つでも、世の中や自分が前に進む行動をしよう。
どんなに小さくても良い。
そうすれば、きっといつか、世界はきっと良くなるのだ。