緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

自己表現の大切さ

ブログを再開して、「ブログとは自己表現である」ということを再認識した。

同時に、自分がここ5年間程度、自己表現をしてこなかったことを思い出した。

 

約6年前、私が適応障害でダウンして休職した際に、当ブログを開始した。その時は、「感情の破棄捨て場」くらいでしか捉えていなかったが、今思うと次第に目的が「自分を表現する場」になっていたのかもしれない。一年間毎日更新を欠かさないことを目標とし、若干面倒になることもありながら、なんだかんだ達成できた。

同じ時期に、Toastmastersというクラブに所属し活動を始めた。これは米国発祥のNPO団体で、人前で7分程度のスピーチを英語で行う活動をする。最初は人前でスピーチなんて行うことが怖かったが、自分の好きなものや考えを表現することにはまり、結局5年程度所属していた。

 

いずれの活動も、形は違えど「自分を表現する場」であることは共通している。そして、当時はあまり思わなかったが、今こうしてブログで自分のことを書くと、自分がいかに自己表現を楽しんでいたか再認識する。

普段の生活で、「自分を出す」ことは相当難しい。やれ世間体だ、上下関係だ、相手への配慮だ、色々なことを気にしなければ社会は回らない。だから、そういってあれやこれやに縛られる結果、「自分を出すより相手に合わせた方が楽」ということに落ち着く。私は3年前に子供が生まれて、ブログもToastmastersの活動も辞めてしまってから、まさにそういった状態に陥っていたと思う。

 

自己表現をするには、自分の中に意見や意思がないといけない。意見というと交渉に聞こえるが、要は「伝えたいこと」だ。「カレーが好き」とか「社旗問題への批判」でも、どんな内容でもいい。とにかく、自分が「これを伝えたい!」と思うことがないと自己表現なんてできない。

そして、そうした意見を持つことこそが、「自分」というものの輪郭を鮮明に、太くしてくれる。ここ数年の私は、そうした活動をしてこなかったから、徐々に自分が薄れ、何もない空っぽの存在のように感じてしまっていたのだと思う。

 

自己表現は、ただの趣味だ。やらなくても良い。

でも、確実に言えるのは、自己表現をした方が、「自分が何者か」ということがより鮮明になるということだ。

なんか、すごくすっきりした。自己表現ができることが、こんなにも幸せだとは思わなかった。