すぐに答えを教えたくなる人の心理
私の趣味の一つにボルダリングがある。
ボルダリングの楽しさや魅力についてはまた別の記事で書こうと思うが、ここではジムに一定数いる人について私の考えを書こうと思う。
まず前提として、ボルダリングのルールは至ってシンプル。
壁に配置されたホールドから成り立つ「課題」を一定のルールに従って登ること。
一定のルールとは、例えば「足限定」とか「右壁使用不可」とか。それさえ守っていれば、課題自体はどのように登っても構わない。
どのように登っても構わないということは、あるホールドを使わなくても良いということだ。あるいは。一度使ったホールドを別の用途で使っても良い。自分の筋力や体形に合わせて、あるモノを全て使って登るれればそれで良い。
目の前の課題の中で、いかに自分に合った動きを見つけ出すか。この試行錯誤とそれが見つかった時の達成感こそが、ボルダリングの大きな魅力の一つだ。
ボルダリングジムに通っていると、「すぐに動きやコツを教えたがる人」が一定数いることに気付く。
例えば私がある課題を上手くできなかったとき、すぐにそばに寄ってきて「あの課題はね、あのホールドが悪いからこう持つと良いよ」とか言ってくる人がいた。
もっと酷いのは、私がそういった助言を無視して自分なりの動きを試行錯誤していると、「さっき言ったじゃん、なんでやらないの?」と自分の考えを押し付けてくる人もいた。
こういった人に絡まれると、とてもテンションが下がる。というか、単純に不快だ。
こちらはそういった試行錯誤を楽しみに来ているのに、いきなり答えを教えられてしまっては、楽しみも何もあったものではない。
確かにその人の言うことが正解なのかもしれない。その動きや持ち方しかないのかもしれない。でも、人から言われてやるのと自分で見つけてやるのでは、達成感も違うし実力の向上にもつながらない。
そういった人たちは、なぜすぐに答えを言いたがるのか。
一言でいえば、自分のことしか考えていないからだろう。
自分ができたから嬉しい。自分のやり方が正しい。自分の凄さを伝えたい。みんなのために教えよう。
そんな独善的な思い込みが根底にあるから、他人の楽しみなんて気にせず答えを話してしまうのだと思う。
とはいえ、気持ちは分からんでもない。
苦労した課題を落とせれば、確かに嬉しい。誰かに話したくなる。
でもやっぱり、だからと言って他の人の楽しみを奪ってはいけない。
私もちょっと前までは、割とすぐに答えを言ってしまっていた。
でも自分でその経験をしてから、そういったことは言わないように以下のルールを課すようになった。
- 感想は言って良い。答えは言わない。
- 応えは相手が求めてきたら言う。
- 相手がずっとその課題の同じところにつまずいていて、イライラしているような状況であればこちらから声をかける。
- 初心者には早めに声をかける(ボルダリングの楽しさを感じてもらうため)。
要は、相手を見て判断するようにしている。
こういった視点は、ボルダリング以外のことにも応用できる気がする。
例えば仕事で部下を見守るとき、子供の成長を見守るとき。
自分ならすぐできるしやり方も知っていることを、あえて言わないでやってみさせる。
ネットを見ればなんでも正解が見つかる世の中だからこそ、こういった領域も必要なのかもしれない。