緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

忙しくなってからじゃ負け

最近、なかなか仕事が忙しい。

現在二つの案件を見ていて、片方は昨年10月からの継続。もう一つは今年の4月からの新規。どちらも下にメンバーを持って進めている状況。大きく炎上している訳ではないのだが、特に後者の案件がかなり忙しく、タスクに振り回されている感覚がある。

 

今週は一緒に働いているメンバーがコロナにり患し不在だったこともあり、特にその傾向が強い。なんか気持ち悪いというか、なんで上手く物事をコントロールできないのかとモヤモヤしていた。

 

色々考えた結果、結局先手を打てずに後手に回っていることが原因であると気づいた。

WBSやQAを毎日きちんとチェックできていない。タスクの関連性を描けていない。来週、来月の動きを把握できていない。ただ目先のタスクを捌くことで精一杯になって、近視眼的になっていることが原因であると気づいた。

先手を打てていないから余裕を生み出すことができない。だから新しく生まれたタスクに振り回される。だから残業する。その現実が見えた時、かなり衝撃を受けた。

 

もっと先手を打てれば良かった。そのための仕組みを作れば良かった。せめて後一週間早く気付いて動けていれば良かった。

以前ある人に「仕事は忙しくなってからじゃ負け。忙しくなる前に先手を打って対策する」と言われた。

その時はあまりピンとこなかったが、本当にその通りだと思う。

忙しくなってからでは、走りながら追い越す必要がある。そのためには相当なエネルギーが必要だし、ただでさえ忙しい中にプラスの労力がかかる。

 

うーーん、、、

これはまぁ自分の責任だな。

案件を二つ見ていることにかまけてその意識がおろそかになっていた。というか完全に視点から抜けていた。

6月はどうにか立て直そう。今あるタスクを走って消化しながら、どうにか追いつけるように頑張ろう。

そのためには一緒に働くメンバーの力も借りなければならないのだが、大丈夫かなぁ、、、

投稿時間によるアクセス数の違い

 

最近、ブログのアクセス数が増えている。

先週までは一日10アクセスいけば多い方だったのだが、最近はコンスタントに20アクセス前後を実現している。

 

別に投稿内容や傾向を変えた訳ではない。むしろ内容はどんどん適当になっている。

唯一変えたのが投稿時間だ。

 

これまでは、朝6時くらいに記事を書いてそのまま投稿していた。

今は、記事を書いてから一度下書きに保存し、出社と合わせて8時頃に投稿している。

たった2時間の差だが、これほど大きな効果を生んでいる。

 

よくよく考えると理由は単純で、私のブログのメインターゲットである30代以上の人は、8時頃仕事に行く前にブログを見たりすることが多いということだ。

ターゲットが一番行動する時間にこちらもアクションを起こせば、当然うまくかみ合う。

まさに、マーケティングの発想だ。

 

ここからさらにアクセス数を上げるには、今度は内容をアレンジする必要がある。

例えば役に立つ記事を書くとか、もっと文章力を磨いて独自性を出すとか。

そこまでするかは別問題。

ブログで稼いだりWEBライティングに進みたいとかであれば意味はあるだろうが、今のように自分の感情の整理に使っているなら、特に不要だろう。

 

でも、投稿時間一つを変えるだけでここまで大きな効果が出るとは思わなかった。

なかなか面白い経験ができてうれしく思っている。

 

 

 

 

 

 

自責思考を目指す

メンバーがコロナにり患にお休み中。絶賛大変な日々を送っている。

確かに大変な状況だが、だからこそ学ぶことも多いもので、日々色々な気づきを得ている。

 

前回、休んでいる彼に対して率直に思うことを書いた。

  1. 体調管理しっかりしろよ
  2. 休むしかないならもう少し申し訳なさそうにしろよ
  3. いつ休んでも大丈夫なようにタスクの状況は整理しておけよ
  4. 自分からリスクヘッジしろよ
  5. 責任感が足りない などなど

yoshisroom.hatenablog.com

 

これらの言葉を見ていると、自分がいかに他責思考かが分かる。

他責思考とは、何か事象が起きた時にその原因を他人に求めることだ。

今回であれば、どの言葉もこの大変な状況に対して休んでいる彼の非を責めるような言葉になっている。

 

他責思考は良いことがない。

いくら相手に責任を負わせたところで、物事が解決するとは限らないし、何も進歩がない。何よりも、責任を負わされた相手も良い気がしない。

今回の場合は特に体調不良という不可抗力なので、より一層意味がない。

 

これに対して自責思考とは、物事の原因は自分にあると考えることだ。

とはいえ、全ての責任を自分で取ることはできないので、ある程度のところで諦めは必要になるのだが、ある状況に対して「自分は何ができるか」を考える積極的な思考だ。

 

物事は自責思考で捉えた方が良い。

他責思考をしていても状況は良くならない。自分も何も成長しない。

自責思考であれば、自分は何ができたか、何をすべきかを考えることで、状況を良くする方法を考え、行動することができる。

 

 

今回のケースでも、本来は自責思考を持つべきだ。

休んでいる彼を責めるのではなく、その大変な状況に対して自分ができることを考える。

その中の一つには、彼に労いの言葉をかけるということもあるだろう。

 

と、ここまで書いて、「そんな聖人になれるんかい」と思ってしまった。

大変なもんは大変。イラつくもんはイラつく。

それを乗り越えて自責思考で生きるのは、相当な修業がいるのだろう。

なんというか、道は遠いな。

 

 

 

 

 

言葉のブーメラン

ブーメランが当たっている男の子のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

昨日、職場のメンバーがコロナにり患し負担が偏っているという記事を書いた。

セルフコントロールできるようになりたい - 緩くいこうぜ、人生長いんだ。

 

表面上は取り繕っているのだが、内心は相当に負の感情が溜まっており、色々と思うことがある。

でも、なるべくそれらの感情は表、特に言葉に出さないようにしている。

なぜなら、その言葉はいずれブーメランとなって自分に返ってくると思うからだ。

 

ここで、私が内心思っていることをざっと列挙してみよう。

  1. 体調管理しっかりしろよ
  2. 休むしかないならもう少し申し訳なさそうにしろよ
  3. いつ休んでも大丈夫なようにタスクの状況は整理しておけよ
  4. 自分からリスクヘッジしろよ
  5. 責任感が足りない などなど

見事に他責思考だ。(これについてはまた別の記事で)

 

この言葉、思うことは自由だと思う。でも、口に出した瞬間にそれは呪いとなって自分にいつか戻ってくる。

例えば上記の言葉は、自分が体調を崩した瞬間に全て自分に降りかかってくる。

体調管理しろよ、責任感持てよ、もっと申し訳なさそうにしろよ。

自分が言ったからには、自分が同じ状況になった時に全てできなくてはならなくなる。

でも、そんなことはできない。

どれだけ体調管理をしっかりしても、崩すときは崩す。それは責任感の多寡によるものではない。

 

だから、そもそも上記の言葉たちは誤った認識、考えなのだ。

そして、その誤った考えを口に出すことほど自らの首を絞めることはない。

 

言葉を出そうと思ったら、果たして自分はそれほどまでに出来ているかを考えたほうが良い。

出来ている自信があるなら、胸を張って口に出せばいい。

でも、大半のことはきっとできていない。できていると思うなら、それは傲りだ。

であれば、安易に自分を棚に上げて口に出すのではなく、果たして自分はできているのかと振り返る。そして、言葉を飲み込む。

飲み込んだ言葉は心にしこりを生むかもしれない。であれば、それは別の方法で発散する。

 

言葉のブーメランは、自分から投げなければ襲われることはない。

自分の身は、自分で守るのだ。

セルフコントロールできるようになりたい

一緒に働いているメンバーがコロナにり患し、今週木曜日まで出社停止となった。

彼はGW前にも謎の咳で一週間連続で休んでいるので、これで長期体調不良は二度目だ。

 

今の案件には彼が1人月、私が0.5人月入っている。私はもう一つ案件を持っており、そちらとの調整が必要になってくるのだが、そもそも合計2人月で契約している状態に対して一人で対応することになるので、いくらタスクを調整したとしてもはみ出てしまう。はみ出てしまう分はスケジュールの遅延などになり、それを回収するのは結局私だ。

つまり、彼に休まれると私の負担が短期的にも長期的にも大幅に上がるのだ。

 

この状況に対して、私が正直に思うのが「いい加減にしろ」だ。

上述の通り、彼がいきなり休むと私の負担が一気に増える。タスクをこなすという意味でもそうだし、調整する労力もそれなりにかかる。

しかもGW前に続いて二回目だ。毎月このような状態になってしまっては、私も相当にしんどい。

 

もちろん、彼がなりたくて体調不良になっている訳ではないのは理解している。出社できないのも、お客さん側の社内ルールによるものだ。

つまり、彼は悪くない。誰も悪くない。

でもだからこそ、なんで毎回自分がその負担を被らなければならないのかと憤る。

 

とはいえ、そんな感情を彼にぶちまけても仕方ない。

ここはリーダーとして、笑顔で「仕方ないでゆっくり休んで治してね!」と彼を安心されるべきだ。

でも、それができない。

心の底では迷惑、面倒くさい、いい加減にしろ、と思っているので、いくら表面を取り繕っても、それが本心でないことは相手にも伝わるだろう。

そんな人間、誰も信用しない。リーダーにふさわしくない。

 

負の感情を抱くのは仕方ない。人間だもの。

でも、それはそれとして上手く制御し、言動には出さない。

そういったセルフコントロールができるようになりたい。

それができれば、きっとこの大変さも報われる気がするのだ。

相手に興味を持つ

以前職場の上司と話をしていたら、「相手の話を聞くときは、相手に興味を持って、どんな人なのか知るための質問をすると良い」と言われた。

「相手に興味を持つ」。これこそ、私が最も苦手とすることで、これから身に付けるべきスキルの筆頭だと思っている。

 

この話を受けて、自分のコミュニケーションを振り返ってみると、事務的な話は抜きにすると、基本的に自分のことしか考えていないことに気付いた。

質問をするときは、「自分はこう考える」ということを重視するし、リアクションもどこか自分を良く見せるために言っている節がある。

コミュニケーションの結果、相手がどんな人かに関する理解が深まることはあまりなくて、ただ自分が良い時間を過ごせたか否かしか考えていない。

 

20代の頃は、相手から教えてもらう立場だったからそれでよかったのかもしれない。自分が欲しい情報を相手から教えてもらう。そのために質問をする。それでよかった。

30代になった今は少し違う。自分が得をしたかではなく、まず相手が良い時間を過ごせたかを考える。そのうえで、自分も良い時間を過ごす。逆の視点と行動が必要だ。

 

相手にとって良い時間とは、相手自身について話すことだと思う。

大半の人は自分についてもっと話したい。でも、毎日の中でそんなに多くのことを話す機会はない。だから、せめて自分との会話の中では、そういった色々を話すことができれば、きっと相手は満足してくれる。

その原動力が、相手に興味を持つことなのだと思う。

 

とはいえ、私は生来的に相手に興味がないので、最初は無理やりにでも興味を持つことから始めるしかないと思う。嘘も繰り返せば本物になる。

いつか本当に興味が持てるようになるその日まで、少しだけ頑張ってみようと思うのだ。

かっこ悪いぞ、最近の自分

最近、自分の中に驕りというか、調子に乗っている感情が見え隠れしている。

ぶっちゃけかっこ悪い。どうにかしたい。

 

ありがたいことに職場ではかなり重宝されており、クライアントから「Mocharionさんは大変優秀で助かっています」と言われたりする。自分が直接契約してフェイスしている人ならいざ知らず、案件で関わっている他の部署の課長からも「Mocharionさん、いつも助かっています」と言っていただいている。

今携わっている案件では間違いなく私が中心にいてすべての進め方を指揮しているし、関係者もその認識でいる。今私が抜けたら、間違いなく案件は瓦解すると思う。

新しく入った案件では、メンバーを一人抱え、彼が悩むところなどを解消しながら案件を回せている。まだ案件に入って日が浅いので大きなバリューは出せていないが、やるべきことはしっかりやれている印象だ。

 

ここまで書くとただの自慢のようで感じが悪いが、事実なのでご了承いただきたい。

問題は、この事実に対して私が若干調子に乗って驕っているということだ。

 

上の書きっぷりを見てもらって分かる通り、「自分がいないと案件が瓦解する」とか言っている。クライアントと話していても、「引継ぎ先の人でうまく案件が回せるか不安です」とか言っちゃってる。いや、そもそもそうならないよう仕組みを作るのが自分の仕事なのではないのか?何自分がいることに大きな価値を感じてしまっているの?

新しい案件の方も、メンバーの話を聞いて上手く答えられたりすると、内心ニヤニヤしている自分がいる。やってやったぜ感が出ている。もっと頼って良いよと思っている自分がいる。

 

うーん、かっこ悪い。調子に乗っている。

本当にデキる人は、こういったことで調子に乗らずに淡々とやるべきことをやっていると思う。自分の価値やパフォーマンスに陶酔して浮足立ってしまうのは愚者のやることだし、いつか絶対足元をすくわれる。それを分かっているのに自分を制御できていないこともカッコ悪いし、危険だとも思う。

ここいらで何か大きな失敗というか、気を引き締めるような出来事が起こる気がする。ただ、それが起きると自分の立ち位置もだいぶ危うくなるので、自分の中で上手く感情をコントロールしたい。

 

それができたらこんなことは書いていないのだがね、、、

ちょっと最近流れが良いからって調子に乗ると本当に怖い。

日本史を見ても平清盛藤原道長など、驕った人は必ず失墜している。

我が世の春はすぐ終わる。驕れるものも久しからずや。