言葉のブーメラン
昨日、職場のメンバーがコロナにり患し負担が偏っているという記事を書いた。
セルフコントロールできるようになりたい - 緩くいこうぜ、人生長いんだ。
表面上は取り繕っているのだが、内心は相当に負の感情が溜まっており、色々と思うことがある。
でも、なるべくそれらの感情は表、特に言葉に出さないようにしている。
なぜなら、その言葉はいずれブーメランとなって自分に返ってくると思うからだ。
ここで、私が内心思っていることをざっと列挙してみよう。
- 体調管理しっかりしろよ
- 休むしかないならもう少し申し訳なさそうにしろよ
- いつ休んでも大丈夫なようにタスクの状況は整理しておけよ
- 自分からリスクヘッジしろよ
- 責任感が足りない などなど
見事に他責思考だ。(これについてはまた別の記事で)
この言葉、思うことは自由だと思う。でも、口に出した瞬間にそれは呪いとなって自分にいつか戻ってくる。
例えば上記の言葉は、自分が体調を崩した瞬間に全て自分に降りかかってくる。
体調管理しろよ、責任感持てよ、もっと申し訳なさそうにしろよ。
自分が言ったからには、自分が同じ状況になった時に全てできなくてはならなくなる。
でも、そんなことはできない。
どれだけ体調管理をしっかりしても、崩すときは崩す。それは責任感の多寡によるものではない。
だから、そもそも上記の言葉たちは誤った認識、考えなのだ。
そして、その誤った考えを口に出すことほど自らの首を絞めることはない。
言葉を出そうと思ったら、果たして自分はそれほどまでに出来ているかを考えたほうが良い。
出来ている自信があるなら、胸を張って口に出せばいい。
でも、大半のことはきっとできていない。できていると思うなら、それは傲りだ。
であれば、安易に自分を棚に上げて口に出すのではなく、果たして自分はできているのかと振り返る。そして、言葉を飲み込む。
飲み込んだ言葉は心にしこりを生むかもしれない。であれば、それは別の方法で発散する。
言葉のブーメランは、自分から投げなければ襲われることはない。
自分の身は、自分で守るのだ。