緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

30代、現実を垣間見る

 

最近、「必ずしも能力が高い人が成功するとは限らないんだなぁ」とか思うようになった。そこから派生して、「能力が低くても上に上がれる人は上がる」とか、「仕事ができない=能力がないということでもないんだなぁ」とか、そんなことを思っている。

要は、シンプル・きれいに割り切れない現実が見えてきた感じだ。

 

きっかけは、今の現場で一緒に働くパートナーさん(Aさんとしよう)が、お客さんからクレームを受けたこと。コミュニケーションがしにくくて仕事がやりにくいからとのことだ。

Aさん自身はすごく気のいい人で、何ならコミュニケーション能力が高い。私もよく雑談を楽しんでいた。だから、その話を聞いたときは、「いや、むしろお客さん側に問題があるんじゃね?」といぶかしんだ。

 

そんな折、私がAさんのサポートに入ることが決まった。正直気は進まなかったがしょうがない。とりあえず打ち合わせに出席した。

トピックは現在開発中のシステムの仕様に関する説明だったのだが、Aさんとお客さんの会話を聞いて、それまでの疑念が改まった。あ~なるほど、これは仕方ない

とにかくAさんとお客さんの会話が成り立っていない。お客さんはシステムが「業務的に何をしているか」について聞いているのに、Aさんは「機能として何をしているか」を答えている。会話の粒度が合っていない。

Aさんが説明すればするほど、お客さんの顔に「そうじゃねぇよ…」という不満が滲む。AさんはAさんで、「これだけ詳細に説明しているのに!」と不満が滲む。どんどん空気は悪くなり、最終的にお客さんが「分かりました、ありがとうございます。」と言って散会した。

きっとお客さんは仕様を理解していない。Aさんの凄さも伝わっていない。AさんはAさんで不満ばかり溜まっている。なんて不幸な関係なんだろう。そう思いながら、私も会議室を後にした。

 

 

これ以外にも似たような出来事があったりして、最終的に冒頭の通り、「必ずしも能力が高い人が成功するとは限らないんだなぁ」と思い始めた。

Aさんは、おそらく外から見れば能力が高い部類だろう。コミュニケーション力が高く、システム知識も高い。エンジニアとしてはなかなかいないタイプの人間だ。

一方で、機能を業務目線でまとめたり説明する能力に欠けている。また、相手が求めているレベルの説明に自分から合わせに行くことも不得意なのかもしれない。

そうなると、いつまでもお客さんのニーズとズレ続けることになり、Aさんの能力がいかに高くても成功することはできない。

 

大切なのは、相手が求めるものを相手が求めるレベルで提供すること。

仮に能力があっても、それができないなら成功することはできない。逆に、能力がなくてもそれができれば成功する。

別の見方をすれば、成功していないとしても、能力がないということではない。成功しているとしても、能力があるということでもない。

全ては相対評価であり、ある単一の尺度だけで物事を測ってはいけない。

 

自分が持っている能力を、一番良い形で確実に発揮できる環境に身を置くこと。あるいはそうなるように環境を作ること。適材適所とはまさにこのことなのだろう。

 

20代の頃は、自分の能力だけを上げれば良いと思って努力していた。

もちろんそれも大事だが、それ以上にこういう現実的な考えも大事なのだろう。

大人になるとは、こういうことなのだろうな。