緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

保育園の連絡帳を書く理由

息子を通わせている保育園では、子供の様子を毎日連絡帳に手書きしている。どうやら、保育者が朝の会かなんかで他の園児も含めて読んでいるらしい。保育者は、一日の終わりにその日一日の子供の様子を連絡帳に手書きし返してくれる。子供の様子に関する交換日記みたいなものをしている訳だ。

 

我が家では、どうせ読まれるならなるべく面白いことを書こうとしている。しかし、ある程度「書いても読まれても良い」という内容にしぼると、芸人でもないのでそんな毎日面白いことが起こるわけでもない。特に平日は、一緒にいる時間も短いのでより難しい。

 

入園した際、このデジタルの時代になぜわざわざ毎日手書きなのだろうかと疑問に思った。正直煩わしい。スマホで入力するなり、週に一回で良いではないか。しかし、先日ふと、その理由に気づいた。

 

きっとこれは、無理やりにでも毎日子供に注意を向けさせるためなのだ。

保育園に預けるということは、基本的に共働き家庭だ。であれば、子供と接する時間は必然的に短くなる。そうした日々が続くと、徐々に子供に対して無関心になり、些細な変化にも気づけなくなってしまう。場合によっては、それが大きな事件などに結びつく可能性もある。

面倒くさくても、煩わしくても、毎日子供の様子を手書きさせることで、強制的に子供に注意を向けさせているのだ。そうすることで、子供の成長を実感できるし、より愛おしく思えるのだろう。

 

これはブログや日記なんかも同じかもしれない。

毎日記事を書いていると、正直ネタがなくなる。しかし、無理矢理にでもネタを探そうとすると、日々の何気ない変化や出来事に意識的になる。そうした気づきを通じて、自分の考えがクリアになったり、小さな変化に気づくことができる。それを繰り返せば、いずれは自分の考え方の癖や志向性など、大きな方向性のようなものが見えるようになるかもしれない。

 

物事に対して意識的になること。小さな変化に気づき、それを記録すること。

そうすれば些細な変化にも気づけるようになる。そしていつかどこかの地点から振り返った時に、「あぁ、あの時はこうだったな」と郷愁に浸ることもできるのかもしれない。

 

そんな保育園の連絡帳も、息子が3歳児クラスに上がることをきっかけに書かなくて良くなった。きっと、家であったことも保育園であったことも、子供自身が教えてくれるようになるからだろう。楽になったなと主反面、一抹の寂しさもある。

子供の成長はアッという間だ。気づいたら大人になっている。放っておけばあっという間に卒園してしまうのだろう。そうはならないために、連絡帳へ記入はしなくとも、毎日子供の様子には気を配って日々を過ごしたい