緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

(続)100記事投稿して気付いたこと



昨日、当ブログの累計記事数が100記事を突破した。


上記振り返り記事の中で、100記事投稿して気づいたことを整理したのだが、そこに書かなかった気付きが一つある。

それは、「記事は割と適当に書けば良い」ということ。具体的には、「文章としての美しさを求めるより、自分が何をどう感じたのかを素直に書く方が良い」ということだ。

ブログを再開して最初の数か月は、まさに勢いに任せて書き連ねていた。しかし、ここ一月は、文章としてのクオリティにこだわり、かなり丁寧に書いていた。その比較をした結果、前者の方が良いのだろうということに気付いた。これによる効果が三つある。

 

1. 時間の節約になる

単純に、一記事にかける時間が短くなる。感情に任せてバーッと書くと、1,000文字の記事でも15分程度でかけてしまう。事実、上述の振り返り記事は15分で書いた。

一方で、記事のクオリティを求めると、一つの記事に1時間とかかかってしまう。ここ最近の私の記事はそれくらいかかっていた。

一つの記事にかかる時間が短くなるということは、単位時間あたりにかける記事の量が増えることになる。忙しい日々の時間を縫ってブログを継続するなら、なるべく多くの記事をストックして書けた方が良いので、長く続けるという意味でも重要な要素だ。

もちろん、その分一記事のクオリティは落ちるが、正直素人が書いている文章なので、クオリティを求めたところでたかが知れている。金銭的な収益を求めないのであれば、そこは最低限度で良いと考える。

 

2. 記事に勢いが出る

初期に書いた記事と最近の記事を読み比べると、初期の方が親しみやすいというか、語りかけている感じがあると思う。最近の記事はちょっと偉そうというか、解説している感が強い。

これもブログに何を求めるかという話にはなるのだが、多くの人に読んでもらってお金を稼ごうと思うなら、より客観的で相手を向いた記事の方が良い。しかし、自分の成長や変化のために書いているものであれば、あまりそこは気にしなくても良いのだと思う。

すると、自分が思ったことが素直に文字として出現するので、記事に勢いが出る。それが読みやすいか読みにくいかは分からないが、あくまで趣味で自分が思うことを書くのであれば、それくらいの方がリアリティがあって良いのではないだろうか。

 

■初期

ブログを再開するといって、さっそく2週間も間が開いてしまった。1月から仕事量が多く、一日中仕事しかしていない気がする。土日は子供の面倒を見なければならないのもあり、体力がない。ということで、書くことを習慣化する前に頭から抜け落ちてしまった。今日から少しずつでも毎日書くことを心がけよう。

自分のために自分を表現しよう - 緩くいこうぜ、人生長いんだ。 (hatenablog.com)

 

■最近 

これまで育ててきた能力とは別の新しい能力を身に付けて、新しい仕事に就きましょうと。学びなおし自体は素晴らしいことだし、それをサポートする環境が整うのは良いことだ。しかしうがった目で見ると「なるべく長く納税・社会保険料を払ってもらうために、なるべく長く労働してもらおう」とも読み取れる。

リスキリングより稼ぐ力の方が大事じゃないか - 緩くいこうぜ、人生長いんだ。 (hatenablog.com)

 

3. 精神的に楽

個人的な感覚として、頑張って書いた記事よりも、適当に書いた記事の方が読まれる気がする。それは文章から漂う「頑張った感」なのかは分からないが、割と本当だと思う。

なので、適当に書いた方が精神的に楽。時間をかけて丁寧に記事を書くと、その努力が報われてほしい、つまり「アクセス数が増えてほしい」と思ってしまう。それが思うに伸びなかった場合、「なんであんなに頑張ったのに!」というストレスになってしまう。適当に書いた記事であればアクセス数なんて気にならないし、仮に伸びたら逆にラッキーくらいに思える。

あまり根を詰めてまじめにやりすぎると、どこかで心が折れてしまう。十分毎日まじめに仕事をしているのだから、ブログくらいは適当にやろうぜ。

 

 

以上が、前回書けなかったブログ投稿に関する気付き。ちなみにこの記事も適当に20分くらいで書いている。

やっぱりこれくらい適当な方が、時間の節約になるし集中して書けるので良いと思う。もちろん、クオリティを求めることも大事ではあるが、それで疲れてしまっては元も子もない。

適当になるということは自分に素直になるということ。毎日着飾って仮面を被って生きているのだから、ブログ上くらいでは、素直な自分で記事を書いていこうぜ。