サイの角のように生きる
最近どうにも流れが良くないなぁと思い『反応しない練習』を再読したら、一ページごとに心に刺さる言葉があって、本当に反省した。
原始仏教を生活にインストールすると言いながら表面上しかできておらず、実際には感情や慢心に埋もれてしまっていたようだ。
改めて、『反応しない練習』と『ブッダの言葉』は何回も通して読んで、考え方を心に刻み付けたい。
仏教を本気でインストールしようと思うと同時に、自分の心にはいつまでも甘え、依存心があるのだと痛感する。
ここ最近流れが悪いのも、自分が他人や組織に依存してしまっていることが大きい。
例えば「マネージャーになる」という目標に対して執着してしまったがあまり、現マネージャーより自分の方が優れていると思ってしまったり、どうすれば自分が評価されるかに目線が寄ったりしてしまった。
組織で生きる以上、自己アピールなどは大切ではあるが、それが本質ではない。
組織で認められたからなんだというのだ。
現マネージャーより自分の方が本当に優れているのだろうか。
それは組織に依存し、自分の優位性を証明したいという承認欲求と、自分のことしか考えない慢心以外の何者でもない。
本来やるべきは、組織がどうとか関係なく、自分自身がどうあるかを振り返り、道を外れないように生きることだ。
そこには、組織がどうとか現マネージャーがどうとかは関係ない。
まさにブッダが言うように、サイの角のような生き方だ。
そのような考え方ができていなかったことが大きな反省だし、これからの人生で最も重要になることだと思う。
組織に属する以上それができないというのなら、私が組織から抜けるしかないのだろう。
サイの角のように生きる。
良い言葉だ。
決して孤独という意味ではなく、自立した人間として生きていくことを目指して、私もサイの角のように生きよう。