緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

サイの角のように生きる

最近どうにも流れが良くないなぁと思い『反応しない練習』を再読したら、一ページごとに心に刺さる言葉があって、本当に反省した。

原始仏教を生活にインストールすると言いながら表面上しかできておらず、実際には感情や慢心に埋もれてしまっていたようだ。

改めて、『反応しない練習』と『ブッダの言葉』は何回も通して読んで、考え方を心に刻み付けたい。

 

仏教を本気でインストールしようと思うと同時に、自分の心にはいつまでも甘え、依存心があるのだと痛感する。

ここ最近流れが悪いのも、自分が他人や組織に依存してしまっていることが大きい。

例えば「マネージャーになる」という目標に対して執着してしまったがあまり、現マネージャーより自分の方が優れていると思ってしまったり、どうすれば自分が評価されるかに目線が寄ったりしてしまった。

 

組織で生きる以上、自己アピールなどは大切ではあるが、それが本質ではない。

組織で認められたからなんだというのだ。

現マネージャーより自分の方が本当に優れているのだろうか。

それは組織に依存し、自分の優位性を証明したいという承認欲求と、自分のことしか考えない慢心以外の何者でもない。

 

本来やるべきは、組織がどうとか関係なく、自分自身がどうあるかを振り返り、道を外れないように生きることだ。

そこには、組織がどうとか現マネージャーがどうとかは関係ない。

まさにブッダが言うように、サイの角のような生き方だ。

 

そのような考え方ができていなかったことが大きな反省だし、これからの人生で最も重要になることだと思う。

組織に属する以上それができないというのなら、私が組織から抜けるしかないのだろう。

 

サイの角のように生きる。

良い言葉だ。

決して孤独という意味ではなく、自立した人間として生きていくことを目指して、私もサイの角のように生きよう。