緩くいこうぜ、人生長いんだ。

30代、適当に生きようぜ。

30代、自分の中にもう一人の自分を持つ

 

ここ最近、自分の中に自分という存在が二人いる感覚がある。

明確に分類することはできないが、感情だったり主観性に生きる自分と、理性や客観性に生きる自分の二人がいる感覚だ。

 

 

例えば先日、現在携わっているプロジェクトのお客さんの一人が異動になるということで、送別会を兼ねての飲み会を開催した。

そこでは、当然その人を中心に会話が進んでいたのだが、流れの中で「いやぁ、Mocharionさんがいなかったらこのプロジェクトは本当に上手く回っていなかったです!」と言っていただいた。

 

まぁ、実際そうだ。私が最初入った時は何もかもが整備されておらず、とりあえず人がアサインされただけの状態だった。

そんな状況で私がほぼ一人でプロジェクト計画を立て、体制を整備し、課題を管理、各種打ち合わせにガンガン入り色々まとめ上げたのだ。

私がいなくてもプロジェクトは回ることは回っただろう。でも、私がいなかったら"上手く"回せていなかったのは間違いない。

 

ということは感じているものの、その場ではすぐに「ありがとうございます。私も●●さんのおかげでかなり助かりました。」と模範的な回答をした。

その会話はそこで終了。そこからはまたその方が中心の会話に戻っていった。

 

 

自分の貢献を褒められた瞬間、私は素直に嬉しかった。と同時に、「自分のおかげでプロジェクトが回っている」という優越感も抱いた。

以前の自分であれば、そのまま感情に支配され、「自分は凄い」とか「自分がいないとダメだ」とかの傲慢な感情に流されてしまっていただろう。その結果、以降の会話では自分の優越性を証明することに重きを置き、何とか自分を話の中心におこうとしていたに違いない。

 

しかし、その時は違った。

褒められ、自分の感情・主観が反応した瞬間に、もう一方の理性・客観の自分が「あ、今自分は優越感を抱いている」と検知した。そして、それ以上その感情が増幅し、表に出ないように言動や表情を調整した。その結果出たのが「●●さんのおかげ」という言葉だ。

結局、私は優越感や傲慢さに支配されることはなく、控えめな姿勢で飲み会を終了することができた。その後も、自分の貢献は客観的に理解しているものの、それを誇示しようとは思っていない。

 

 

ある出来事に直面した際に、まず感情・主観の自分が素直に反応する。

これは人間である以上あたり前の反応だ。

しかし、そのまま感情・主観の世界に居続けるとロクなことがない。

一度抱いた感情は放っておくとどんどん増幅する。ありもしないことや全く関係のないことを無理やり関連付けて、どんどん醜い感情に変化していく。

膨れ上がった感情は、外に出ていこうと言動に表れる。結果、何か失言をしたり周囲に不快な感情を抱かせてしまったりする。

 

感情・主観の自分が反応したら、それを理性・客観の自分ですぐに検知する。

感情や主観は、それが発生していることに気付いてあげるだけでだいぶ小さくなる。そうすることで、すぐにその世界から抜け出すことができる。

後は、どのように反応するのが自分や相手にとって一番良いのかを考え、行動すれば良い。

物事に対して、感情・主観の自分と理性・客観の自分の二人がかりで向き合うことで、良いバランスを取れるようになるのだ。

 

 

少し前の自分であれば、すぐに感情の世界に引きずり込まれ、なかなか出てこれなかったのだが、その辺のコントロールがだいぶできるようになってきた気がする。

振り返ると、自分が尊敬する大人はいずれも自分の感情をコントロールできる人だった。であれば、自分もそこに向けて少しずつ近づいているのかもしれない。

30代、色々気付くことが多いですなぁ。