我々はしゃべりすぎている
最近、瞑想に力を入れている。
毎朝10分、窓の方を向いて胡坐をかいて目を閉じる。
頭のモードを切り替え、呼吸している感覚に集中する。
通勤電車内でも、なるべく目を閉じて静かにするようにしている。
おかげさまで、うるさい環境でもイライラせずに作業等に集中できるようになった気がする。
瞑想をする中で気付いた。
我々はしゃべりすぎている。
もちろん、実際に言葉を発するという意味でもしゃべり過ぎているが、一人で目を閉じている時でも、頭の中でずっと話している。
話すとは言葉だ。
そして、言葉とは思考だ。
つまり、我々は常に思考しているのだ。
思考することは良いことだ。
でも、それは本当に必要な思考なのだろうか。
無意識的に言葉を垂れ流しているだけではないだろうか。
そのせいで、自分の身体の感覚や周囲の様子に気付けなくなってはいないだろうか。
イヤホンで音楽をすることはその最たるものだ。
自分で自分の耳を塞いでしまう。
そうすることで、他人の思考を自分に浴びせ、自分自身の感覚を覆いかぶせてしまう。
我々はしゃべり過ぎているのだ。
少し黙って、自分の感覚や相手の様子に意識を向けよう。
言葉にできないことにこそ、本当の何かが隠れている気がするのだ。